「PCエンジンミニ」感想(ネタバレ)。コナミがこんなにPCEを愛してくれると、そして私がこんなに愛してしまうと、思ってもみなかったw
記事書いてる途中で、当ブログの累計アクセス数が、40万を超えました。ありがとうございます。常連さんと、通りすがりの皆さんに、百万の感謝を(「星界の紋章」を読んでたのでw)。
それにしてもいやホント、コナミがここまで、セガより熱く、やってくれると全く思ってなかったし、私もここまでハマるとは。
発売直前、「もしかしてコナミは、本気なのでは?」って予感がありましたけど…。まず、PCEミニそのもののパッケージと、関連商品の、写真。
この写真で、ほとんどの関連商品、網羅できてると思います。ライセンスが一切ない商品は、入ってないはず。「パーフェクトカタログ」はライセンスあるのか自信ないけど、全くの無許可で、あれは発売できないと思う。愛してるwので、権利表記にも、手を抜きませんっ!(`・ω・´)(C)BANDAI NAMCO Entertainment Inc. (C)SEGA (C)RED (C)Nihon Falcom Corporation. All rights reserved. (C)TAITO CORPORATION 1986, 1990, 1991 ALL RIGHTS RESERVED. (C)CAPCOM CO., LTD. 1988, 2019 ALL RIGHTS RESERVED. (C)さくまあきら (C)1988 コーエーテクモゲームス All rights reserved. (C)extreme (C)IREM SOFTWARE ENGINEERING INC. (C)Konami Digital Entertainment (C)2021 Konami Digital Entertainment
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手前味噌の、「ミニ系ゲーム機」感想と、PCEミニ版「ときメモ1」感想も、どうぞ。あ、こちらで、「2020年、最も面白かったゲーム機」と認定させてもらった。ありがとうございます、コナミさん。
そもそも、「PCエンジン」とは、どんなゲーム機か?元祖公式である、ハドソンとNECの話
オリジナル版は、古さで人後に落ちないゲーム機なので、若い子はほとんど、知らないと思う。個人的にも、コレクションとして最終形態である「DUORX」を持っていたが、遊んだことはなかった。おさらいしてみる。なるべく当時の記憶、呼び覚ます。
1987年に、ハドソンとNECホームエレクトロニクスから出ていた、ゲーム機。当時はファミコンの全盛期であったが、初めてファミコンの牙城を脅かした、「ライバル」だった。
「ライバル…?」と任天堂は思っていたのではと、私だって思っているがw、ハイスペックと、ファミコンにないコンセプトで、任天堂を焦らせた、ゲーム機のはずである。
まず言った通り、単独のメーカーでなく、ハドソンとNECHEの共同で、開発と販売が、されたゲーム機。ゲームの歴史をまとめた文献でも、PCEの詳細を語ったものは少ないので、想像を交えざるを得ない。
ハドソンがソフト開発、NECHEがハード開発を主導したのではと、想像しているが、昔のゲーム業界は役割分担が曖昧だったので、PCEもそこら辺、アバウトだったのではと、考えている。そもそもNECがゲーム機を作っていたの、初耳の読者も、居ると思う。
当時の私も、NECのコトはあまり意識してなかった。「ハドソンのゲーム機」と認識していたので、「なんでメーカーが、NECになってるの?」と子供として、疑問に思ってた。その頃は、PCEへの関心、強くなかった。
今考えると、PCEは、NECのパソコン販売戦略の一環でも、あったと思う。私が当時PCEにハマっていれば、NECのPCを買っていた、可能性があった。初めてPCを買うとき、NECと富士通の二者択一となって、知人のアドバイスで、富士通を選んだ。
今でも富士通のユーザーである。それは間違ってなかったと思っているが。
当時のゲームキッズならわかると思うが、最初は「カトちゃんケンちゃん」が、キラーソフトだったw。当時加藤茶と志村けんが大人気だった、「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」という番組あって、私も好きだった。
PCEミニには、キャラクターが差し替えられた、「J.J.&JEFF」と言う、海外版が、収録されている。去年、志村けんが亡くなられてしまったので、カトケンをミニに収録していれば志村けんの偉大さの記念碑になれたと思うが、あんなことが起こると、コナミは夢にも思っていなかったろう。しかし、テレビ局や代理店が、OKしていればなー。
でもPCEの本格的なブレイクは、CDROM導入からだった。家庭用ゲーム機で、CDROMを最初にメディアとして使ったのが、PCE、だったのだ。
当時のCDROMのインパクトはすごく、メガドライブもメガCDを、ネオジオもネオジオCDを作って売った。任天堂も大焦りで、スーファミのCDROMが真剣に開発されていた。そしてのちの、サターンやプレイステーションに、繋がる。
任天堂は焦ったはずだと考えるの、性能の高さだけでない。任天堂が目覚めていなかった、「アニメ」と言うコンセプトで売っていて、任天堂も後に、「ファイアーエムブレム紋章の謎」辺りから、後追いを始める。
まだ「オタク」「萌え」という言葉や概念すらない時代から、それらを導入していた。要するにとても、アニメテイストで、CDROMの大容量で、ハイクオリティな「アニメ」「声優」「音楽」の導入に、成功していた。
任天堂派や、セガ派からは、「気持ち悪い」「変態だ」と心なく言われたが、時代の先を行っていた、早すぎたゲーム機だった。
今の若者からは信じられないかもしれないが、ファミコン・スーファミ時代のゲーム業界のアニメ差別、オタク差別のひどさ、目に余るものがあり、FFやSNKなんか、「アニメ臭いゲーム」のレッテルを張られ、いじめられた。ひどい時代だった。サターンやPS1の登場で、改められ始めた。
そんな時代に、アニメ路線で勝負してたPCEの偉大さに、33年かかって、やっと気づいた。遅くてスマン、もうない、ハドソンさんとNECHEさん。わずかでも、埋め合わせをさせてほしい。
終わった後のPCエンジン、公式であるコナミの、まさかのw愛
天外魔境やときメモなど、ソフトに恵まれ、一世を風靡したPCE。しかし、商品には終わりが来る。ましてやゲームは、流行り廃りが激しい。
と言うかむしろ、「ファミコンの次世代を担うハード」と最初に期待されたのが、PCEだった。「次世代機」という概念の、始まりともいえるのだ。ハドソンとNECも、「ポストファミコン」という触れ込みで、売った。
そしてPCE、メガドラ、スーファミの時代が終わり、各社の次世代機が、期待された。もちろん、PCEも。
ところがハドソンとNECは、判断ミスを、してしまった。要するに、「今までの『アニメが豪華』路線で行けば勝てる」と信じ込み過ぎて、「ポリゴンの時代が来る」と信じていなかったようだ。だから次世代機の「PCFX」には、ポリゴン機能が、なかった。
セガはサターン、任天堂は64で、ポリゴン路線を、温度差、路線の差は大きいものの、採り入れた。それで、「バーチャファイター」「マリオ64」をリリースし、大ヒット。
そして、その時代の覇者となる、ソニーの「プレステ」の登場。ソニーが上手かったの、ポリゴン路線でありつつ、アニメ路線も、採り入れた。まだローポリゴンの時代に、「ポリゴン萌え」にも、挑戦していた。そして「FF7」が出た。
没落してしまった、PCEの後釜としての、地位を確立した。PCE専門誌も、PS専門誌に看板を変えた。
PCEやセガが強かったオタク層、任天堂が得意とした一般層、両方の客を、上手く抱き込んだ。独自の客層も開拓。PSが当時から今まで強いの、バランス感覚の絶妙さが、すごいのだと思う。
というワケで、PCEの遺伝子は、継がれるものなく、ハドソンとNECは、ゲーム機事業から、撤退。ハドソンはのちにコナミに買収され、会社として、現存していない。
NECホームエレクトロニクスは、そもそもNECグループの集合離散、要するにお家騒動が激しく、色々あったようで、会社としてのNECHEも、これまた現存しない。
NECHEが持っていたPCEの権利は、元々NECグループだったビッグローブのものとなり、ハドソンを買ったコナミと共有してるのが、現状。
正直、「PCEは完全に、終わったのだ」と思っていた。ミニファミコンが起こしたミニのブームが華やかだった頃、「コナミもPCEミニを、出すべきだ」と友達としゃべったが、半ば冗談であり、それほど本気ではなかった。
コナミが正式に、本商品である「PCエンジンミニ」を発表した時も、「コナミさんどーせ、ブームに乗っかってるだけで、本気ではないんでしょ?」と、ナメにナメまくっていた。
…コナミさん、すみませんでしたぁーっ!m(__)m
…と、絶対に言わなければならない。ホントゴメン。それほどコナミの、商売度外視の、曇りなき愛に、仰天し、PCEに、染められた。セガや任天堂を超える、見事過ぎる仕事、してくれた。
まあでも、ハード開発と、販売の経験値がないの、やはり響いてしまった(^^;)。後述する。
どう考えても、ハード、ソフト共に、権利問題が、滅茶苦茶大変だった
まず、ファーストパーティーの1つだった、NECの話から。
前述の通り、NECはお家騒動が激しく、推測なのだが、NEC本社が、関連する商標や商号を、一元管理を、していないと思われる。それほどに、複雑である。まず、ソフトメーカーとしてや、CDROMの起動画面に、クレジットされている、名前だけで…。
「NEC」「NECホームエレクトロニクス」「NECアベニュー」「NECインターチャネル」「NECホームエレクトロニクスUSA」「NECコーポレーション」
最後の2つは、アメリカの現地法人の、当時の名称と思われる。今はどこが、所持と管理をしているのか。これだけで、もうめまいがするw。
推論で済まないんですが、ソフトにNECの表記が残ってるのに、ハードやパッケージにNECの表記がないの、お金や労力などの、コナミの限界を、超えてしまってたんだと、邪推してるw。
ここで触れると、当時のPCEの主戦場は、日本とアメリカ。ヨーロッパは、あまり相手にしてなくて、アジアは全然。PCEミニは今のゲーム機らしく、多言語対応してるが、ローカライズはしていない。日本、米州、欧州で売って、アジアで売る気は、ないようだ。
技術は相当、アジアに依存してるのだがw。まあ大抵のミニは、アジア、というか中国がなければ、作れなかったが。そういう、時代です(-_-;)。
特にPCEミニは、発売時がコロナショックと重なって、中国が大変だったので、生産流通に、かなりの支障をきたした。本家PCE同様、実力があるのに、悲運のハードなのだ。
ハドソンの方の話すると、今はコナミの、商標となっている。
そもそも買収に際して、元ハドソンには不満が大きかったそうだが、会社を健全に経営できていれば、買収されるなんてなかったので、文句を言い過ぎても仕方ない。
むしろコナミが買っていなければ、ハドソン文化は滅びていたかもなので、少なくとも私は、お金かけてくれたコナミに、感謝している。
とはいえPCEミニ開発に際してコナミも、「ハドソン」を軽んじてはいけないと考えたようで、なるべくハドソンの表記を残している。いちいち「ハドソン(現・コナミ)」と表記される場合ありウザいけどw、コナミも大金と、多大な労力をかけたのでw。
そこはPCEミニ特有の問題で、それを除いてもミニの開発で、権利に苦労しなかった会社など、ないと断言できる。
関係ないが、ミニファミコンの、「週刊少年ジャンプ創刊50周年記念バージョン」の権利獲得なんか、任天堂と集英社は、いくらかけたのか、どんだけめんどくさかったか、想像するのも恐ろしい((((;゚Д゚))))w。
それはともかくPCEミニは、加えて声優や音楽のレベルが高いので、出演した声優や、作曲家の権利獲得も、大変だったのだ。他のミニよりも、大きかった問題。引退したり、亡くなっている方もいるし。
こういうのはまず、「足で人を探す」必要がある。当たり前だが、画面の前に齧りついて済む問題は、少ない。
「シューティング黄金時代」だったのを、再現したゲーム機
いかん色々、限界に達している(-_-;)。これを、ファイナルチャプターとするw。
コナミなど公式が特に推してる、「ときメモ1」「天外2」「イース1・2」「スナッチャー」が、確かに名作。ときメモ1は、大体クリアしたし、天外2も、それなりに進んだ。残り2つも、腰を据えてやらないとと、思っている。
想定外に、「悪魔城ドラキュラX血の輪廻」にハマった。ヒロインである、マリア・ラーネッドが、かわいさはもとより♡、強さが化け物だったw。実は初めて、ドラキュラシリーズを、クリアしたw。コナミさん、いい入り口に、なりましたw。
だけどPCEの本領は、シューティングなのだと、ミニで知った。
ファミコン時代は、シューティング全盛期。PCEの初期も、ファミコン時代。高橋名人はハドソンの広報マンだったし、あの時代のゲームキッズとして、高橋名人は好きだった。
しかし個人的に、シューティングは好きでなかった。アクション系のゲームが、そもそも苦手だったし、当時はシューティングの魅力、わかってなかった。PCEオリジナルに目覚めてなかったの、それもある。
それがミニの、「ネオジオミニ」「メガドラミニ」辺りから、「シューティング、あるいはアクションシューティングって、面白い!」と目覚めた。ネオジオやメガドラのミニは、PCEに近いマニアック路線なので、シューティングを多数、収録している。
もうシューティングが廃れていた時代の、PS1のクラシックがシューティングに塩対応なのはわかるとして、シューティングで儲けさせてもらった、ミニのファミコンやスーファミが、シューティングへ比較的に冷たいの、任天堂は恩知らずだと、言わざるを得ないw。
PCEは、ゲームジャンルでシューティングの比率が、最も高い。オリジナルでは、連射パッドがデフォルトのバージョンもあったそうで、ミニでも海外版は、連射パッドが普通。日本では、改めて買う、必要がある。おいおいw。まあ買って、楽しんでいるがなw。
そう、「連打」や「連射」がゲームのキーワードだった時代、あったのだw。
でもハッキリ言ってしまうが、パッドや、本体のミニチュアのクオリティは、ミニの中で最も、低いと言わざるを得ない(-_-;)。コナミは家庭用ゲーム機を、作った経験がなかった。
当時の金型が、あまり残ってなかったろうと推測するし、ゲームセンターの筐体のノウハウや、ビートマニアなどの、専用コントローラのノウハウ、極力活かしたのだと思うが、限界が大きかった。
販売をAmazonに、全面的に頼ったのも、問題があった。特に故障に対する対応は、ひどかったらしい。プロデュースがコナミ、ハード開発がホリ、ソフト開発がエムツー、販売がAmazon。この座組で、なんとか成立した。
拙かったと思うが、しかし関係各位に、感謝している。ミニの中で、最高傑作に、出会えた。おおっと、章題と関係なく、トリに持ってくるべき、話をしてしまったw。
シューティングが、面白いのだ。ハドソンの代表作だった、「スーパースターソルジャー」、コナミの代表作である、「グラディウス」シリーズ。
PCEオリジナルで最後のソフトだった、「銀河婦警伝説サファイア」も、面白い。萌えだけが売りのゲームでなくw、シューティングとしてレベルが高い。技術力もすごい。
「スターパロジャー」も、いい。ちょっぴりエッチなw、ボーナスステージがw。いや、ゲームとしても、すごいのよ?w PCE本体が自機となるなんて、PCEミニで遊ばないと、醍醐味がわからない。
「超兄貴」が…wwwww。作ったの、土田俊郎さんだったと、知らんかったよ…w。
PCEミニは、海外版のゲームも多く収録してるのも、持ち味で、「アール・タイプ」「PC電人」「ソルジャーブレイド」など、遊ばないとなあ。
ミニには、「今では、あるいは日本でレアなソフトを、再リリースする」意図もある。他社のミニも、遊んでみて。
私は基本的に、「昔はよかった」と、「権力は悪い」を、信じない。新聞やテレビがばら撒いた、2つの大嘘と思う。
ミニを好きなのは、昔はよかったではないのか?そう思われるのも無理はないけど、私はレトロゲームが好きなのでなく、最新技術で再現された、「ミニ」が好きなのだ。バーチャルコンソールや、ゲームアーカイブスは、別に好きでなかった。
また今時のゲームの風潮を、ほぼ肯定している。スイッチを持ってるし、箱SX買うつもりだし、PS5とPSVR2と新型ナスネを、買うつもりでいる。欲張りw。
スマホやPCのゲームも、楽しんでいるし、ソシャゲもとても、面白い。FFもドラクエも、今の方が、断然面白い。今のゲームを語るのに、古いシリーズを引き合いに出すなとは、言うなやw。
ただまあしかし、PCEなどのミニで、シューティングの面白さに触れると、シューティングや、アクションシューティングに関しては、「昔はよかった」の、認めざるを得ません(^^;)。
FPSやTPSをシューティングだとは、私だって認めないw。シューターが面白いジャンルなのは認めるけど、シューティングとは、別物w。
ここで、〆ます。さて来月の、ブログのネタは、どうしようw。
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